野坂昭如氏が終戦当時、妹に櫛を買った「鈴木万屋」と鈴木英雄さん=福井県坂井市春江町江留上本町

 JR春江駅から徒歩10分ほどの市街地、福井県坂井市春江町江留上地区。人里としてのルーツは平安時代(823年)に始まり、1872(明治5)年でも農家50戸の小集落だった。それが大正から昭和にかけ「春江ちりめん」の織物産地として人口が急増し激変、工場が建ち、学校ができ、商店が並び一気に市街地化した。1945(昭和20)年8月の終戦間際、織物工場が並ぶ江留上に疎開してきた、後に作家となる故・野坂昭如氏(1930~2015年)が、名作「火垂るの墓」を生み出すきっかけとなった追悼の地でもある。

 神戸大空襲(1945年6月5日)で被災した幼い兄妹が懸命に生きる姿を描いた野坂昭如氏の小説「火垂るの墓」。兵庫県神戸市、西宮市を舞台に、スタジオジブリの高畑勲監督作の名作アニメなどで有名だが、実は野坂氏が疎開先の江留上で、1歳4カ月の妹を亡くした実体験が元になっている。

 野坂氏は当時14歳。神戸大空襲で親を亡くし8月1日、親の知人を頼って江留上を訪れ、終戦をはさむ約1カ月間を過ごした。

 「荒物屋で貝に柄をつけたしゃもじ、土鍋、醤油さし、それに黄楊(つげ)の櫛(くし)十円で売ってたから節子に買ってやり―」。兄妹2人暮らしの準備をする「火垂るの墓」の一節。妹のために「黄楊の櫛」を買い求めたのが、江留上本町にある書籍・文房具店の「鈴木万屋(まんや)」。

 大正時代に、春江ちりめん工場の女性従業員向けに化粧品などを扱う小間物屋として開業。野坂氏は2002年にテレビ番組で店を訪れた。「くしを扱っていたか」と尋ねられた店主の鈴木英雄さん(68)は「扱っていました」と答えると、「はっきり思い出した」と静かに語ったという。

⇒三宅一生さんが愛した福井県の「大福あんぱん」今もパリコレに

 野坂氏の自伝的小説「行き暮れて雪」には、「福井駅から二つ目のH町」の廃業した機屋の1軒に住み着いたとある。鈴木さんは「広照寺(江留上昭和)で涼んでいたようで、おそらく江留上日の出で暮らしていたのでは」と語る。8月22日、栄養失調で妹が亡くなる。当時墓地だった今の旭公園(江留上旭)で火葬。野坂氏は30日、遺骨を入れたドロップの缶を持って江留上を離れたという。

福井県坂井市春江町江留上 旧春江町の南部に位置し福井市に隣接する。1200年前に、現在の江留中出身の農家10軒が集落をつくったことが始まりと言われている。1595世帯、3703人(10月31日現在)。

 ×  ×  ×

 福井県内各地の担当記者が特定の地区にスポットを当てて魅力を伝える企画「まちぶら」。わたしたちが地域の「宝」を再認識し、改めて地元を誇れるきっかけになりますように…

越前市/歴史息づく紫式部公園 勝山市/平泉寺白山神社33年に一度の「御開帳」 あわら市/隠れた名所を掘り起こし 越前町/熱気渦巻く山車巡行、住民の思いとは 若狭町/歴史が重なり合った熊川宿の魅力“拡散” 福井市/北陸最大級…300基以上が点在