ウクライナ侵攻、ジブリ「火垂るの墓」をアルメニアから奏で続けるピアニスト 「私も伝えなくては」

2022年5月16日 14時00分
 平和への願いをジブリのアニメ映画に重ねてきた。欧州とアジアの境にあるアルメニアで、1人の女性ピアニストが、太平洋戦争の神戸空襲を描いた「火垂るの墓」の音楽を奏でている。自国を襲った2年前の戦争、そしてロシア軍が侵攻したウクライナの苦しみに思いをはせて。(アルメニアの首都エレバンで、小柳悠志)

ジブリのアニメに親しんできたガヤネさん=4月、エレバンのコミタス音楽院で(小柳悠志撮影)

◆国民的人気

 東京から8000キロ。日本との関係は薄いアルメニアだが、ジブリは国民的人気を誇る。多くの作品がソ連崩壊後、テレビで放映され「となりのトトロ」や「ハウルの動く城」は有名だ。
 「ジブリの作品の多くは少女の視線で物語が展開される。子どもだけに見える世界像がある」。こう語るのはエレバンのピアニスト、ガヤネ・アスラニャンさん(25)。幼い頃に「火垂るの墓」を見て、強烈な印象を受けた。
 火垂るの墓に登場するのは、しっかり者の兄清太と妹節子。ガヤネさんには4つ年上の兄がいるので、アニメに感情移入せずにはいられない。きょうだいだけで生きていくのはどれほど心細いだろう。幼い頃、けんかばかりしていた兄も、私が死ねばどれほど悲しむだろう、と。

野坂昭如氏「アメリカひじき・火垂るの墓」(新潮文庫刊)の書影

◆「明日はわが身」

 アルメニアで火垂るの墓が知られるのは、身近に戦争の危機があることが一因とみられる。
 ソ連末期から、アルメニアは隣国アゼルバイジャンと係争地ナゴルノカラバフを巡って戦ってきた。国境警備の兵士たちが命を落とすことも珍しくない。火垂るの墓は、遠い島国の過去の出来事ではなく「明日のわが身」だった。
 2020年9月、アゼルバイジャンが係争地の奪還に乗り出した。世に言うナゴルノカラバフ紛争。男たちは戦地に行っては遺体となって帰ってくる。憎しみ合ってきた2国が立場を譲ることはなかった。

◆多くの若い人たちが犠牲に

 ガヤネさんは、寄る辺ない思いを誰かと分かち合いたかった。兵器を前に人がどれほどもろく、繊細か訴えたかった。火垂るの墓の終盤に流れる曲をピアノで演奏し、匿名で動画サイトに投稿した。暗がりの中、演奏するガヤネさんの手だけが映し出された。
 「アゼルバイジャンを憎む気にはならなかった。親しい人を失い、悲しむのは誰でも同じだから」とガヤネさん。40日余に及ぶ戦闘の末、アルメニアは敗れた。アルメニアで20歳前後の男性ら4000人近くが死んだ。
 ガヤネさんにはジブリの国、日本に行く夢もあったが、稼ぎのいくばくかは軍人の救済基金に寄付した。
 この年明けからは、ロシアがウクライナを侵略し始めた。家が壊される、人が殺し合う。清太や節子のような孤児が出る…。ウクライナの惨状を聞くたびガヤネさんの胸はふさがる。終わりなき火垂るの墓を見ているようで。
 「このアニメを作った人たちは、戦争の愚かさを伝えたかったはず。戦争が起きれば人が死ぬ。そんなメッセージを私も伝えなくては」

ジブリの「火垂るの墓」を現代の戦争に重ねるガヤネさん=4月、エレバンのコミタス音楽院で


 戦争を前に無力感を覚えるガヤネさんだが、火垂るの墓を弾くのをやめようとは思わない。誰かが戦禍に苦しむならば悲しみを分かち、祈るのが人の本性だと思うから。「音楽は悲しみを鎮めるよすが。誰かを癒やす術」と信じている。

 火垂るの墓 原作は野坂昭如氏。太平洋戦争の敗戦前後の神戸を舞台に、兄清太(14)と妹節子(4)が生きる姿を描いた。ジブリの火垂るの墓は脚本・監督が高畑勲氏、音楽は間宮芳生氏で1988年に公開された。

 アルメニア 黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス(カフカス)地方にあり、アルメニア民族を中心とした世界最古のキリスト教国。ロシア、オスマン、ペルシャの3大国が勢力を争う地域で、近代以前から戦禍が絶えなかった。第1次大戦で発生したアルメニア系難民を、実業家渋沢栄一や横浜在住のアルメニア系の篤志家ダイアナ・アプカーが救ったことでも知られる。人口約300万人。


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